コラム


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CRぱちんこRio 9AS  
text by 冬月カースケ
 
筐体画像 311.まもなくあれから一年が立つ。早いものと言って良いのかどうか。確かなことは一つだけ、まだ何も終わってないということだ。思えば、あの日、自宅前で経験した激しい揺れがここまでの大惨事になるとは(誰しもがそうであるように)その時は思ってもみなかった。津波と揺れによって被災地は壊滅的な打撃を受け、多くの尊い命が失われ、今なお行方不明の人々もいる。

そして、福島原発の事故の影響は、計り知れない重さで、いまだに私たちの肩に乗ったままだ。避難を余儀なくされている福島県民は、15万人以上。逃げたくても逃げるところがない人たちも多い。しかし、世の中はそんなことは「とうに過ぎた過去の出来事」というような風潮が強まっている。

時の宰相、政府は安全を確認したら各地の原発を再稼働させるという(安全ってナンダ?)。そして溶け落ち飛び散った核燃料が、どこにあるかも分からず、それを取り出す術など何もなく、汚染物資の処理の見通しもたっていないというのに、事故は「収束」したと言う。一体これはどういうことだ。

喉元過ぎれば、熱さは忘却の彼方に消え去る。これでいいのか? いい訳はない。自分も含めて日本人はつくづく、そういう感覚が甘い! のではなかろうか。過去にこだわらない、クヨクヨしない、我慢するというのは、美徳のひとつかもしれないが、それがあくまで、私的な関係性や自分の身の回りの小さな社会での考え方であって、大きな社会的な出来事にあてはめてはならないのではないか?

先日のアンケート報道によると「収束」どころか、福島県民の92%が「復興の道筋がついていない」と答え、ある学者によればこのままでは福島の人口は30年後には半減するという予測も出されている。人口が半減したら地域のコミュニティやインフラは壊滅的な打撃となる。我が永遠の故郷……福島のことを思うとなんとも言えない気持ちになる。そしてそれ以上に、この問題に真剣に向き合っているとは到底言えない政府や、忘れ去ろうとする世の中の空気に恐ろしさを感じてならない。

何もできない自分だが、せいぜいこの「思い」だけは消さずに、書ける範囲で色々なところで発信だけはしていこうと思う。さて、本題の「311」は日曜日。タッキーが過日のコラムで「打たなくて済むのでほっとした。この日は家族4人で過ごす。」というようなことを書いていた。気持ちは大いに分かる。この日だけが問題ではないのだが、やはり特別な日であることに変わりはない。その日が近づいた水曜日。今週は山には上がらない予定なので、じっくりと稼働できるそんな一日。





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